小伴天の由来

冬の寒い日に、母親が縫ってくれた「綿入りのはんてん」を
羽織ったときのような温かい気持ちを
皆様に感じていただきたいという思いから、
「小さいはんてん」『小伴天』と名付けました。

はんてんは、漢字で半天と書きますが、
人が集まるお店になるよう願いを込めて
「にんべん」を添えて「伴天」の字にしたそうです。

1920

大正9年

碧海群棚尾村(現在の碧南市棚弥生町)で小さな食堂を始めた。
初代「文二郎・きり」
畑仕事の帰りに気軽に立ち寄れる晩酌のできる店だった。
当時から碧南は漁業・農業が盛んであり、味噌やたまり、みりん等の醸造も盛んであった。さらに、うなぎの産地の一色にも近かったため、近所のたまりやみりんを使ったたれを作り、うなぎ料理も提供していた。

初代 文二郎ときり

1926〜

昭和初期

二代目「一男・文子」
「一男」がうなぎを焼く姿が道行く人から見え、タレ焼きした際に周りに広がる香りと供に地域の名物として親しまれていた。
『風上に うなぎ屋がある 腹の虫』(当時の小伴天を詠んだ句)
「一男」が出征した戦時中は「文字」が「きり」「義姉」と共に雑炊等を売り、店を守った。
戦後、町は復興し棚尾は花街として芸■も多く賑やかだった。劇場、映画館もあった。
祝言などの仕出しも多く承り、皿盛り主流の時代に先駆けてパック料理にも取り組んだ

二代目 一男と文子
1983

昭和58年

三代目「銑司・美代子」
「日本料理 小伴天」として現在の場所に新店舗を開店。
三河の食材とうなぎにこだわり、季節感を大切にした会席料理も本格的に始める。
「三河四季の味」を出版

特産のいちじくを使った「いちじく会席」を提供し始める。
「美代子」が女将として着物で接客し、手作りの食前酒を提供。
古代米や食用アロエといった特色の有る料理も話題となる。

三代目 婚礼仕出し

1990

平成2年

「銑司」が画期的な調理法であった真空調理法を、日本のパイオニアであった谷孝之氏(フランス料理)に学び、日本料理に初めて真空調理を導入する。
和食の真空調理法を研究し、第一人者として全国各地で講師を務める。
東京「服部栄養専門学校」大阪「辻学園調理専門学校」などで格子を開始する。

特産のいちじくを使った「いちじく会席」を提供し始める。
「美代子」が女将として着物で接客し、手作りの食前酒を提供。
古代米や食用アロエといった特色の有る料理も話題となる。

1994

平成6年

料理雑誌「専門料理」で、小伴天の「真空調理入門」が連載される

1996

平成8年

「銑司」が人気TV番組「料理の鉄人」に出演し、フレンチの坂井氏と対戦。

2000

平成12年

「和食と喫茶 とんがり帽子」開店

2002

平成14年

「真空料理で日本料理」を出版し、真空料理が外食業界だけでなく、中食・病院食等にも広まり、定着する。(調味料の事典、真空調理ってなに?、真空調理レシピ、あいちの味)等も出版

2014

平成26年

ふるさと応援寄附金の返礼品として「三河一色産鰻の炭火焼き」を全国に提供し始める。

2015

平成27年

「小伴天はなれ 一灯」開店。

2016

平成28年

「銑司」が2000年を代表する料理人の一人として「専門料理」で紹介される。

「勇久」がCOREZO賞を受賞

2018

平成30年

「勇久」が農林水産大臣賞を受賞。

「小伴天」が碧南市農業奨励特別賞を受賞。

2019

令和元年

創業100年を迎える。

ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019に「小伴天」「一灯」共に掲載される・

四代目「勇久・健太・英三・裕美子・尚美・文」

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